流体さんのえっち〜〜〜〜!(H定理)

※この記事は航空宇宙工学科アドベントカレンダー用記事です.

adventar.org

こんにちは,皆さんいかがお過ごしでしょうか?僕はそろそろ修論提出なのになんも結果出てなくて焦っています. みなさん見事にアイキャッチ画像に釣られましたね?残念!今回は流体の中でもH定理と呼ばれる法則の紹介っていう,真面目な話でした!

はじめに

H定理は身近にある水や空気などの密な流体では問題になりません. しかし,特に希薄な気体では保存則と並んで重要な第四の法則として知られています. これらの理由は何なのでしょうか? H定理の導出と絡めながら答えを探り,Boltzmann方程式含めた気体分子運動論の本質は何か,古典物理的に考えてみたいと思います.

※やたら長くなってしまいました,僕が話したかった話は「H定理について考えてみる 」に書かれているので,そこから読んでみてもいいかもしれません.

複雑すぎるよBoltzmann方程式

H定理はBoltzmann方程式の重要な性質として知られているので,まずはBoltzmann方程式とは何ぞ?から始めましょう.ここ以降出てくる数式は全て総和規約に従います.
(なお2年ほど前に流体最強の方程式 - 空飛ぶセロ弾きという記事でBoltzmann方程式の導出を行ったので,細かい事が気になる人は参照してください.)

Boltzmann方程式(外力なし)は次式で表されます.

Boltzmann方程式

\begin{align}\label{boltzmann} \frac{\partial f}{\partial t}+\xi_i\frac{\partial f}{\partial X_i} &=J(f,f)\\ J(f,f)&=\frac{1}{m} \int_{\boldsymbol{\xi}_{1}}\int_{\boldsymbol{\alpha}}(f'f'_1-ff_1)B(|\alpha_jV_j|, V) d\Omega(\boldsymbol{\alpha}) d^3\boldsymbol{\xi}_1 \end{align}

...いや複雑すぎぃ!なのでざっくりと意味を紹介します. イメージさえ掴んでもらえれば十分です.
なお,各変数は末尾に掲載されているので,そちらを参照してください.

速度分布関数とは?

通常の流体力学では現実世界における位置( x,y,z)に対して密度や温度などのマクロな量を使います. なぜなら十分密な流体な場合,流体の分子速度はMaxwell分布に従っており,変数としてそれらのスカラー量だけ決めれば良いからです. 一方,流れが希薄になると分子間の衝突は十分行われず,分子の速度は必ずしもMaxwell分布に従いません. そこで,分子の速度を分布関数として表す必要が出てきます.これを速度分布関数と呼びます.

f:id:kane-please:20191203190329p:plain
速度分布関数の意味合い,微小体積内の速度分布関数はその位置,速度を持った分子数を表す

左辺はなに?

Boltzmann方程式の左辺は物体微分(的なもの)です. すなわち,時刻 tにおける速度空間内の体積素片 dX d\xiは時刻 t+dt dX' d\xi'に変化するが その内の分子数が時刻 tから時刻 t+dtにかけてどのように変化するかを表しています.(図を参照)
気持ちとしては,速度分布関数の時間変化を見たいけれども,分子には速度があるので速度分布関数の位置はどんどん変化していく. なのでNS方程式と同様に分子の移流も考えればええやん!って感じです.

f:id:kane-please:20191204005040p:plain
左辺のイメージ

右辺はなに?

右辺がBoltzmann方程式のキモです.右辺は分子間衝突による変化量を表しています.なお分子間衝突がない場合,この項は0になります. 特にBoltzmann方程式では仮定として分子間衝突は2体衝突のみで,3体衝突以上は起こらないと仮定しています. 分子間衝突による変化は以下の二つに分ける事ができます.

  •  J_G:衝突による発生項
    時刻 tには dX_i d\xi_iなかったが,微小時間 dtのうちに衝突して速度が変化し,時刻 t+dt dX' d\xi'内に入ってきたもの

  •  J_L:衝突による消滅項
    時刻 tには dX_i d\xi_iあったが,微小時間 dtのうちに衝突して速度が変化し,時刻 t+dt dX' d\xi'から出たもの

すなわち \begin{equation} J(f,f) = J_G - J_L \end{equation} 分子間の衝突があると微小時間 dtでも速度は劇的に変化するので,対象の体積素片 dX d\xiの周囲だけでなく,速度空間全体に対してこれらの項は考える必要があります.

f:id:kane-please:20191204010550p:plain
衝突により外部から分子が飛び込んできたり( J_G),内部から分子が飛び出ていく( J_L
ここから,さらに J_G J_Lに関して詳しく見ていきます.

消滅項 J_Lの導出

さて,ここからは具体的に衝突の様子を考える必要があります. 消滅項を考える際には \xi_iの速度を持った分子0に \xi_{i1}の速度をもつ分子1が短い時間 dtの間に衝突します.これを絵にすると下のような図になります.

f:id:kane-please:20191205144306p:plain
衝突過程の様子
さて,ここで分子1は dtの時間で相対速度分の V_idtしか進むことができません.なので,分子1は必ず図の灰色の領域に入っていますが,分子1のような粒子はいくつ あるのでしょう?
結論からいうと期待値的に「1よりずっと小さい」です.つまり,ほとんどの場合0で時々1ということです. 理由は, \boldsymbol{X}というただでさえ小さい領域の中のさらに小さい領域 V_ie_idtdSだからです. なので,この領域内の分子数を数えるには以下のような統計的な仮説をおく必要があります.

  1.  d\boldsymbol{X}内で状態は一様
  2.  V_ie_idtdS内の分布も分子0の \xi_iによらず d\boldsymbol{X}と同じ fで与えられる(分子無秩序の仮定
    特に今回は衝突前に対して分子無秩序が適用されているとします

この仮定を用いて, d\boldsymbol{X}の中で時刻 tから微小時間 dt内に速度 \xi_iをもつ分子の衝突数を求めます. 特に分子無秩序の仮定が適用できる,衝突をする直前で衝突数を考えます. これは次のように求められる.速度 \xi_{i1} \xi_iが衝突する時,衝突数は
(上の灰色領域内の \xi_{i1}分子数)×( d \boldsymbol{X}内の \xi_i分子数) で表されます.つまり, \begin{equation} \left( \frac{1}{m}f(X_i,\xi_{i1},t)d\boldsymbol{\xi_1} \times V_je_jdSdt\right)\left(\frac{1}{m}f(X_i,\xi_{i},t)d \boldsymbol{\xi}d \boldsymbol{X}\right) \end{equation}

ここで, \xi_iに衝突する分子の数を全て求めるには,

  • 衝突する分子の速度 \xi_{i1}に対して全積分
  • 衝突する微小面積 dSを全積分

すれば良い.以上から, d \boldsymbol{\xi}d \boldsymbol{X}内での衝突数 m^{-1}J_L d \boldsymbol{\xi}d \boldsymbol{X}dtが得られます.

\begin{align} J_L &= \frac{1}{m}\int_{全\xi_{i1},全S}f(\xi_{i1})f(\xi_i)(V_je_j)dS d \boldsymbol{\xi}_1 \\ &= \frac{1}{m}\int_{全\xi_{i1},全S}f(\xi_{i1})f(\xi_i)B(|\alpha_jV_j|, V) d\Omega d \boldsymbol{\xi}_1 \end{align}

ここで, (V_je_j)dSは衝突係数 Bと立体角 \Omegaに取り替えました.(よく見るBoltzmann方程式の形にするため,深い意味はない)

発生項 J_Gの導出

先ほどと同様に考えます. 今度は時刻 tに任意の分子速度 \bar{\xi_i},\bar{\xi_{i1}}が衝突して,時刻 t+dt \xi_i, \xi_{i1}になる状況を考えます. 先ほどと同様にして, \bar{\xi_i} \bar{\xi_{i1}}の衝突数は次のように考えられます.

\begin{equation} \left( \frac{1}{m}f(\bar{\xi_{i1}})d\boldsymbol{\bar{\xi_1}} \times \bar{V_j}e_jdSdt\right)\left(\frac{1}{m}f(\bar{\xi_{i}})d \bar{\boldsymbol{\xi}} d \boldsymbol{X}\right) \end{equation}

ただし,今度は \xi{i1}に関して全積分,のように単純ではありません. \bar{\xi_i} \bar{\xi_{i1}}の衝突の後,速度が {\xi_i} {\xi_{i1}} になる組み合わせの集合 D(\bar{\xi_i}, \bar{\xi_{i1}})に対して足し合わせます.なので,  d \boldsymbol{\xi}d \boldsymbol{X}内での衝突数 m^{-1}J_G d \boldsymbol{\xi}d \boldsymbol{X}dtは次の式になります.

\begin{align} J_G d\boldsymbol{\xi} = \frac{1}{m}\int_{D}f(\bar{\xi_{i1}})f(\bar{\xi_i})B(|\alpha_j\bar{V_j}|, \bar{V}) d\Omega d \bar{\boldsymbol{\xi}_1}d\bar{\boldsymbol{\xi}} \end{align}

ここで,二体衝突の式を適用することにより,積分範囲を変更します.具体的には,以下のように積分変数の変換を行います. \begin{align} \xi_i &= \bar{\xi_i} + \alpha_i \alpha_j \bar{V_j}, & \xi_{i1} = \bar{\xi_{i1}} + \alpha_i \alpha_j \bar{V_j} \\ \leftrightarrow\ \bar{\xi_i} &= {\xi_i} + \alpha_i \alpha_j {V_j}, & \bar{\xi_{i1}} = {\xi_{i1}} + \alpha_i \alpha_j {V_j} \end{align} (ここからの式変形はただ煩雑なだけなので,割愛します)
結局再び \xi_{i1}に関する全積分で求めることができるようになります.

\begin{align} J_G &= \frac{1}{m}\int_{全\xi_{i1},全S}f(\bar{\xi_{i1}})f(\bar{\xi_i})B(|\alpha_jV_j|, V) d\Omega d \boldsymbol{\xi}_1 \end{align}

ゆえに結局衝突項は次のように表すことができます.これは冒頭のBoltzmann方程式と同様な意味となっています. \begin{align} J(f,f) &= J_G - J_L \\ &= \frac{1}{m}\int_{全\xi_{i1},全S}\left(f(\bar{\xi_{i1}})f(\bar{\xi_i}) - f({\xi_{i1}})f({\xi_i})\right)B(|\alpha_jV_j|, V) d\Omega d \boldsymbol{\xi}_1 \end{align}

まとめ

ボルツマン方程式左辺は速度分布関数の時間変化を表し,右辺は分子間衝突による影響を表す. ただ,仮定として

  • 分子の衝突は2体衝突のみ

  • 微小体積  d\boldsymbol{X}内では状態は一様

  • 衝突前の分子の分布に分子無秩序の仮定を適用

特に重要なので,分子無秩序に関してさらに言及すると,分子の衝突前に分子無秩序が適用されることの意味とは, 「衝突前には2分子は(速度分布関数 fに従うので)相関があるが,衝突後には(必ずしも fに従わないので)もはや相関は見られない」 ということを言っています.

H定理を証明する

Boltzmann方程式がどういうものか何となくでも理解していただけたでしょうか? ここからはH定理の証明をしていきます. 証明に必要な関係式の導出は必要になり次第求めます.

H定理とは次の関係式を指します.

H定理

外力の働かない系を考える.次のような関数 H, H_iを考え,特に Hは局所H関数と呼ばれる. \begin{align} H(X_i,t) &= \int f \ln c_0^{-1} f d\boldsymbol{\xi}\\ H_i(X_i,t) &= \int \xi_i\ f \ln c_0^{-1} f d\boldsymbol{\xi} \end{align} この Hに対して以下の不等式が成立し,等号は fMaxwell分布の時に限る. これをH定理と呼ぶ. \begin{equation} \frac{\partial H}{\partial t} + \frac{\partial H_i}{\partial X_i} \le 0 \end{equation}

以下,証明していきます.

Boltzmann方程式(\ref{boltzmann})の両辺に (1 + \ln c^{-1}_0 f)をかけて, \xi_iの全空間に渡り積分します. ここで, \begin{align} (1 + \ln c^{-1}_0f)\frac{\partial f}{\partial t}&=\frac{\partial}{\partial t}(f\ln c^{-1}_0f) \\ (1 + \ln c^{-1}_0f)\xi_i\frac{\partial f}{\partial t}&=\frac{\partial}{\partial X_i}(\xi_i f\ln c^{-1}_0f) \end{align} が成立することから左辺は \begin{equation}\label{hlhs} LHS = \frac{\partial H}{\partial t} + \frac{\partial H_i}{\partial X_i} \end{equation} と表されます.
右辺について,

\begin{equation} RHS = \frac{1}{m}\int (1 + \ln c^{-1}_0f)(f' f'_1 - f f_1)Bd \Omega d \boldsymbol{\xi}_1 d\boldsymbol{\xi} \end{equation}

うーん,このままではどうしようもないですね.そこで次の対称関係式を示しておきます.

対称関係式

 \xi_iのある関数を \psi(\xi_i)として,以下の J_\psi(f,f)を定義しておきます. \begin{equation}\label{sym_formula} J_\psi(f,f) = \frac{1}{m}\int\psi(\xi_i)(f'f'_1 - ff_1)Bd \Omega d \boldsymbol{\xi}_1 d\boldsymbol{\xi} \end{equation} この積分に対して,次の二つの操作を考えます.

  1.  (\xi_i, \xi_{i1}) \rightarrow (\xi_{i1}, \xi_{i}) と変数を書き換える(変数変換ではないことに注意)
    • この時,ただ見た目を変えただけなので,ヤコビアンを考える必要はない.また, (f'f'_1 - ff_1)も対称な式なので,見た目は変わらない

  2.  (\xi_i, \xi_{i1}, \alpha_i) \rightarrow (\xi'_i, \xi'_{i1}, \alpha_i) と変数変換を行った後に  (\xi’_i, \xi’_{i1}) \rightarrow (\xi_{i}, \xi_{i1})書き換える
    • 前者の変数変換のヤコビアンは1である.後者に関して, 書き換えにより (f'f'_1 - ff_1)は符号が逆になる.

以上の操作を順次式(\ref{sym_formula})に適用していきます.
式(\ref{sym_formula})に操作 a. を適用すると

\begin{equation}\label{sym_a} J_\psi(f,f) = \frac{1}{m}\int \psi(\xi_{i1})(f'f'_1 - ff_1)Bd \Omega d \boldsymbol{\xi}_1 d\boldsymbol{\xi} \end{equation}

式(\ref{sym_formula})に操作 b. を適用すると \begin{equation} J_\psi(f,f) = \frac{1}{m}\int \psi(\xi'_{i})(ff_1 - f'f'_1)Bd \Omega d \boldsymbol{\xi}_1 d\boldsymbol{\xi} \end{equation}

式(\ref{sym_a})に操作 b. を適用すると \begin{equation} J_\psi(f,f) = \frac{1}{m}\int \psi(\xi'_{i1})(ff_1 - f'f'_1)Bd \Omega d \boldsymbol{\xi}_1 d\boldsymbol{\xi} \end{equation}

ここで,以上の4式を全て足し合わせると次の対称関係式を得ることができます. \begin{equation}\label{sym} J_\psi(f,f) = \frac{1}{m}\int \frac{1}{4}(\psi + \psi_1 - \psi' - \psi'_1) (f'f'_1 - ff_1)Bd \Omega d \boldsymbol{\xi}_1 d\boldsymbol{\xi} \end{equation}

H定理の証明に戻る

さて,この対称関係式(\ref{sym})に \psi = 1 - \ln c^{-1}_0fを代入します. \begin{align} RHS &= \int \frac{1}{4} \left( \ln c^{-1}_0f + \ln c^{-1}_0f_1 - \ln c^{-1}_0f' - \ln c^{-1}_0f'_1 \right)(f'f'_1 - ff_1)Bd \Omega d \boldsymbol{\xi}_1 d\boldsymbol{\xi}\\ &= \frac{1}{4} \int (f'f'_1 - ff_1)\ln\left(\frac{ff_1}{f'f'_1} \right)Bd \Omega d \boldsymbol{\xi}_1 d\boldsymbol{\xi} \\ & \le 0 \label{hrhs} \end{align} 最後の式では, (x-y)\ln(x/y) \ge 0を使用しました.

以上の結果から,式(\ref{hlhs})(\ref{hrhs})を用いて,

\begin{equation} \frac{\partial H}{\partial t} + \frac{\partial H_i}{\partial X_i} \le 0 \end{equation} が示されます.

はぁ〜〜,ようやくこれでH定理証明完了です.

H定理について考えてみる

ようやく本題です.今まで長々と話してしまってすみません...
ここからは,H定理に関して考察することで色々面白いことがわかるので,紹介します.

そもそもHって何なの?

H定理とかいうものを証明しましたが,これが何の意味を持っているのでしょう? 実際に Hを計算してみることで,わかります.

 fに次のようにMaxwell分布を代入します

\begin{equation} f = \rho (2\pi RT)^{\frac{-3}{2}}\exp\left(-\frac{(\xi_i - v_i)^2}{2RT} \right) \end{equation}

よって Hは次のように計算できます.

\begin{align} H &= \int f \ln c^{-1}_0 f d \boldsymbol{\xi} \\ &= \int \rho (2\pi RT)^{\frac{-3}{2}}\exp\left(-\frac{(\xi_i - v_i)^2}{2RT} \right) \left(\ln c^{-1}_0 + \left(-\frac{(\xi_i - v_i)^2}{2RT} \right) + \ln \left(\rho (2\pi RT)^{\frac{-3}{2}} \right) \right)d \boldsymbol{\xi}\\ &= \rho(\ln c_0^{-1}) + \rho\ln \left(\rho (2\pi RT)^{\frac{-3}{2}} ) \right) + \int \rho (2\pi RT)^{\frac{-3}{2}}\left(-\frac{(\xi_i - v_i)^2}{2RT} \right) \exp\left(-\frac{(\xi_i - v_i)^2}{2RT} \right) d \boldsymbol{\xi} \label{h_calc_1} \end{align}

なお,ガウス積分を計算すると,

\begin{equation} \int \rho (2\pi RT)^{\frac{-3}{2}}\exp\left(-\frac{(\xi_i - v_i)^2}{2RT} \right)d \boldsymbol{\xi} = \rho \end{equation}

ここで,式(\ref{h_calc_1})の残った積分を計算するために,次のガウス積分の公式を使用します. \begin{equation} \int^{\infty}_{-\infty}x^{2n}\exp({-ax^2})dx = \frac{(2n-1)!!}{2^n a^n}\sqrt{\frac{\pi}{a}} \end{equation}

これを使用するために,式(\ref{h_calc_1})で x = (\xi_i - v_i)/\sqrt{2RT}と変数変換します. ここで注意すべきは, i=0,1,2なので変数変換の際にかける \sqrt{2RT}は三回かけられるます. すると,結局以下のように表せます.

\begin{equation} \frac{H}{\rho} = \ln \left(\rho (2\pi RT)^{\frac{-3}{2}} ) \right) + const. \end{equation}

ここで,単原子分子気体のエントロピー sは以下のように表せます. \begin{equation} s = R \ln \left(\rho^{-1} (2\pi RT)^{\frac{3}{2}} \right) \end{equation}

よって,以下の関係式を得られます.

\begin{equation} \frac{H}{\rho} = -R^{-1}s + const. \end{equation}

これでやっとH関数の正体もといH定理の意味がわかりました.

H定理の意味

H関数はエントロピーに対応しており, H定理はエントロピー非減少を意味していた!

この結果は次のように言い換えることができます.エントロピー非減少というのは,時間的に戻らない,つまり時間的方向性を持っていることになるので,

H定理はBoltzmann方程式の解が時間的方向性を持っていることを示している.

あっれれ〜〜?おっかしいぞ〜〜?

さてさて,ここで話を終わっても良いのですが,もう少し考えたいと思います.
皆さんに思い出して頂きたいのですが,Boltzmann方程式の導出では二体衝突などの古典物理しか用いていませんでした. そうなると,先ほど得られたH定理の結果はなんだか気持ちが悪いような気がします. それに気が付いたのがヨハン・ロシュミットです.ロシュミットはH定理に対して次のような反論を行いました.

ロシュミットの逆行性批判

可逆的な古典物理の議論しか用いていないのに,Boltzmann方程式からH定理のような非可逆過程が導かれるのは,どこか間違っているのでは?

言われてみればその通りではないでしょうか?Boltzmann方程式の導出で用いた二体衝突は,当然ですが,逆に衝突後の速度で衝突すれば衝突前の速度が得られます. つまり全く逆のことを行えば以前の状態を得られます.このような可逆性は古典物理特有のものと言えます. 一方で,Boltzmann方程式から導かれるH定理はエントロピー増大の法則を示しており,一度エントロピーが増大すると元には戻らない,不可逆な過程になっていることを示しています.

可逆性を仮定しながら導いてきたのに,なぜか不可逆な結果が得られた,なんだか矛盾しているような気がします.

この答えは,Boltzmann方程式に課した仮定である分子無秩序にあります. ここで次の例を考えてみましょう.

  • 衝突後に分子無秩序の仮定を適用する
衝突後に分子無秩序の仮定を適用

詳細を述べるのは煩雑さを招くだけなので,割愛しながら結果を紹介します. 衝突の生成,消滅項 J_G, J_Lの計算においては,衝突前の状態に対して衝突数を計算していました. これは衝突前の状態に対して分子無秩序の仮定を適用したからです.

では,逆に衝突後の状態に対して分子無秩序の仮定を適用したらどうなるのでしょうか? その時の衝突項を紛らわしさを防ぐために  \hat{J} と変えておきます. それを考えるために,今回は衝突後の衝突数を考えます. ゆえに,下図のような灰色領域を今回は考えることになります.

f:id:kane-please:20191206145042p:plain
衝突過程の様子

考えてみればわかりますが,今回は衝突後の分布に対してのみ fを適用できるので,計算方法が変わってきます.

  • 消滅項の場合
    衝突後の速度が \bar{\xi_i}, \bar{\xi_{i1}}であるとして,衝突前が \xi_i, \xi_{i1}となる組み合わせに対して衝突数を計算. 以前の生成項と同様な計算になり, \begin{align} \hat{J}_L &= \frac{1}{m}\int_{全\xi_{i1},全S}f(\bar{\xi_{i1}})f(\bar{\xi_i})B(|\alpha_jV_j|, V) d\Omega d \boldsymbol{\xi}_1 \end{align}

  • 生成項の場合
    衝突後の速度が \xi_i, \xi_{i1}として,以前の消滅項と同様に衝突数を計算すると, \begin{align} \hat{J}_G &= \frac{1}{m}\int_{全\xi_{i1},全S}f({\xi_{i1}})f({\xi_i})B(|\alpha_jV_j|, V) d\Omega d \boldsymbol{\xi}_1 \end{align}

よって,今回の衝突項 \hat{J}は次のように計算されます. \begin{align} \hat{J} &= \hat{J}_G - \hat{J}_L \\ &= -J \end{align}

あれ,逆になってしまいました. ということは,この仮定のもとではH定理も逆の結果となり,「エントロピー非増大の法則」が得られてしまいますw

鋭い人はもうお気づきかと思いますが,本来可逆に思われるBoltzmann方程式に非可逆性をもたらしているのは,この分子無秩序の仮定です. そして,さらに重要なのが,

  • 分子衝突前に分子無秩序の仮定をし

  • 分子衝突後に適用はしない

というところです.つまり,こう言い換えることもできます.

Boltzmann方程式の解の時間的方向性はそもそも分子無秩序の仮定の置き方に起因する

結論

大変長くなってしまい申し訳ありません. 最後に僕が伝えたかったことをまとめておきたいと思います.

まとめ

  • H定理はエントロピー非減少の法則を示しBoltzmann方程式の解は不可逆,つまり時間的方向性があることがわかる.
  • 一見,可逆に見えるBoltzmann方程式に時間的方向性をもたらしたのは,元を辿ると分子無秩序の仮定である.

今回の話から得られる教訓として,一見「分子無秩序の仮定」のようにとても妥当に見える仮定があったとしても,実は方程式の重大な性質を 決めてしまうほど強力な威力をもつことがあるので注意!ということでしょうか.
あと,個人的にエントロピー非減少の法則の証明って世の中にあんまりないかなーって思って今回示すことができてちょっと嬉しいです.

自分本当に文章力ないので,めちゃわかりにくくなってしまって申し訳ないです... ただ,自分以外の航空宇宙民は毎回本当に面白い文章書いてるし,ハイスペなので,ぜひ読んでみてください!

参考文献

  • 曾根良夫・青木一生(1994)"分子気体力学"

  • Carlo Cercignani(1975)"The Boltzmann Equation and Its Applications"

変数名一覧

変数 変数名
 f 速度分布関数
 f '  衝突後のf
 t 時間
 \xi 分子速度
 X (速度分布関数の)位置
 B(|\alpha_j V_j|, V) 衝突係数
 \Omega 衝突断面積
 J(f,f) 衝突項
 J_G 衝突による発生項
 J_L 衝突による消滅項
 V_i 分子0と分子1の相対速度

f:id:kane-please:20191206160903j:plain:w50